こんにちは。
気象予報士の試験勉強をしていると、気象予報の技術ばかりに目がいきがちになりますよね。
今回の話は予報士試験には全く関係ありませんが、息抜きとしてみていただけたら嬉しいです。
太平洋戦争の時の天気予報がどのようなものだったのかをみていきます。
日本では気象情報が報じられなかった期間がある
毎日、当たり前のようにテレビやネットに流れている天気予報。
日本では19世紀末の1884年から天気予報が報じらていましたが、それが途絶えた期間があります。
太平洋戦争が始まり、日本がハワイの真珠湾を攻撃した1941年12月8日から終戦の1945年8月22日までのおよそ3年8ヶ月の間、気象情報は軍事機密になりました。
気象情報は軍事機密になってしまう
戦争になると天気の情報は軍事機密として扱われます。
天気の情報は、航空機の飛行性能や作戦行動へ直接影響を与えるためです。
例えば、気温が高く空気密度が低い日は飛行機のエンジンが本来の性能を発揮できません。
滑走路から離陸するために、普段よりも長い距離が必要となります。
もし空母のように滑走距離が限られている環境なら、気温の高さは死活問題になるでしょう。
またわかりやすいところで言えば、台風の日は航空機が飛行すること自体に危険が伴います。
このように、戦場や基地の気象状態がわかると戦争相手の戦闘機や爆撃機が飛べる日を割り出すことができます。
普段の天気予報は、傘がいるかどうかの判断で見ていますが、気象情報は戦争の勝敗を分けることもある重大な情報なんです。
だから現代のアメリカ軍は、衛星などに多額の費用をかけて世界中の気象情報を入手しています。
ひさし社長なお、アメリカ軍が提供する気象情報は一般人にも公開されているゾ
真珠湾攻撃の日、天気図に『極秘』の印が押される
次の天気図は1941年(昭和16年)12月7日と翌日の12月8日の天気図です。




手書きの天気図が時代を感じさせますね。
それよりも注目したいのは日付のとなりに12月7日(左)までにはなかった【極秘】のハンコが12月8日(右)から押されていることです。
12月8日はまさに真珠湾攻撃とアメリカ・イギリスへの宣戦布告が行われた日であり、機密情報であることを表すハンコはこの日から終戦までの3年8ヶ月間続きます。



天気図からの戦争の影響を感じ取ることができるゾ。
こちらのサイトで過去の天気図を閲覧できます↓↓
100年天気図データベース:https://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/weather-chart
本当に一般市民に気象情報が提供されていなかった
現代の日本で気象情報が提供されない状態を想像できますか。
明日、晴れか雨かわからないことに始まり、突然台風が来たり、朝起きたら大雪が積もっていたり。



考えてみると意外となんとかなる気もするゾ



なんとかならんのじゃ!台風などで大きな被害が出ていたんじゃよ。
戦時中の1942年に山口県を襲った周防灘台風は死者行方不明者700人以上を出しました。
気象管制下の台風で、直前まで住民に台風の情報が知らされなかったため、多くの被害が出たとされています。
天気図が見られるのは平和の証
戦争中は物資や食べ物が不足することをイメージしますが、気象情報なども手に入らなくなるんですね。
戦争中の気象観測者たちの葛藤を描いた作品に柳田國男の「空白の天気図」という作品もあります。
戦争を気象観測者の立場から見ることができる作品なので気象予報士を目指される方におすすめです。



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