イスラエルには、マサダの城塞という場所があります。
帝政ローマ時代に、およそ1000人のユダヤ人たちがローマ帝国の支配を逃れるために、籠城の末、集団自決した場所です。
1000人が集団自決をした悲劇の場所:自由か死か
西暦66年、ローマ帝国の重税と宗教弾圧に耐えかねたユダヤ人が大反乱を起こします。これが第一次ユダヤ戦争の始まりです。
エルサレム神殿の金銀強奪をきっかけに、ユダヤ側はローマ駐屯軍を虐殺し、全土で蜂起します。
エルサレムは70年、ティトゥス将軍率いるローマ軍に包囲され、7ヶ月の激戦の末に陥落します。
100万人以上が飢餓や戦闘で死亡し、神殿は炎上します。
しかし反乱の残火は消えず、シカリウス党と呼ばれる過激派約960人が、死海西岸の断崖「マサダ」へ逃れます。
鉄壁の要塞と長期籠城
マサダはヘロデ大王が築いた天然の要塞です。高さ400mの崖上に宮殿や巨大な貯水槽と食料倉庫をもち、1000人が数年生活できる完璧な設備です。
72年、フラウィウス・シルバ率いる第10軍団1万5000(兵9000+奴隷6000)が包囲を開始します。周囲8kmに壁と8つの陣営を築き、完全封鎖します。
崖の上にあるマサダの要塞は、侵入するのも困難です。
そこでローマ軍は西崖に長さ200m・高さ55mの巨大土塁を2年かけて建設します。
ユダヤ側は投石や矢で抵抗しますが、物量に押され73年(または74年)春、陥落目前になります。
ユダヤの指導者エレアザル・ベン・ヤイルは集会で訴えます。「奴隷より死を選びなさい。自身の手によって命を絶たなければならなくとも、自由のために死ね。」と。
集団自決の夜
集団自決の夜、一家の主が家族を殺し、くじで選ばれた10人が残りを殺します。そして最後の一人が自殺する手順で、集団自決は行われました。
翌朝、ローマ軍が土塁を登ると、集団自決した多数の遺体と焼けた食料庫を発見します。生き残っていたのは、2人の女性と5人の子供だけでした。
この「マサダの悲劇」は、ユダヤ人の抵抗精神の象徴となります。1948年のイスラエル建国で「マサダは落ちませんでした」との誓いが軍の合言葉になります。
マサダはイスラエルにとっての聖地となり、イスラエル国防軍将校団の入隊宣誓式はマサダで行われています。軍の新兵はここで民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓います。
玉砕の歴史
マサダ城塞の話は太平洋戦争でのバンザイ岬を想起させます。サイパンで米軍に追い込まれた多くの日本兵や民間人が、「バンザイ」と叫びながら崖下に自ら身を投げた場所です。
どちらも悲劇的な話ですが、経過した時間が長くなるにつれて話の質感がドライになります。まるで神話の世界のような話に聞こえますが、自決をした証拠が多数残っています。
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